福祉概念に繋がる福子思想は仏教の福田からでは?

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福祉概念に繋がる福子思想は仏教の福田からでは?

大阪には聖徳太子が建立された四天王寺があります。

お寺なのに鳥居のある四天王寺です。

四天王寺 – Wikipedia :

悲田・施薬・療病などを現代まで継承し社会的弱者の救済を行われています。

また光明皇后の垢すり供養伝説として以下のような伝説があります。光明皇后も四天王寺と同様に悲田院施薬院を作り慈善活動を行っています。

光明皇后 – Wikipedia :

非人千人に施浴する立願をした光明皇后の前に、全身に膿を持ち紫色に膨れた癩病者が来て、体中の膿を唇で吸い出して欲しいと申し出、皇后が膿を吸い出していると、みるみるその体は黄金色に輝き、阿釈迦如来となって飛び去ったという伝説

 

第11話「福田(ふくでん)」 : ←曹洞宗のお寺のページで、福田についての法話があります。

「福田」とは仏教で、善き行為の種子を蒔いて、功徳の収穫を得る田という意味で用います。功徳を積む考え方の福田という法話から、連想されるのが福子思想です。

 

福子思想とは?

ekochin_6262 / Pixabay

日本では古来より、知的障害者や身体障害者が生まれると「福子」「宝子」「福助」「福虫」と呼んで、家に福をもたらす者として大切に育てました。同時に障害者差別もありました。障害者であることを原因に忌むというよりは「唖や白痴が出るのは氏神への信仰が薄いため」という戒めがあったこともあります。曹洞宗の盛んな地域では、福子思想は根付き、障害児は大切にされました。

足袋メーカーの福助は、水頭症の障害児ではないかと言われています。社のトレードマークとして福助さんとして大切にされ、会社に福をもたらしたのでしょうね。障害児を大切にする福子思想は聞くだけで、ありがたい気持ちになります。まさしく福をもたらす福子であり、福子を大切にすることで、周りを幸せにしていると思います。

日本書紀の障害児「ヒルコ」とは?

障害児を穢れとして流してしまうのは、日本書紀にあります。日本建国のイザナギノミコトとイザナミノミコトが子生みをしたときに、泡の子と、蛭子を、失敗として海に流してしまいます。日本書紀のこの部分に障害児差別を感じひっかかっていました。その後、流された蛭子は、流れ着いた土地で、エビス様として祀られます。とても救われた気がしました。

 

エビス信仰の元は、日本書紀のヒルコ

全国のエビス神社は、流されたヒルコを祀っている神社です。

エビスの文字もいろいろなエビスがあります。地名にもなっていますね。蛭子。戎。恵比寿。夷。

エビス様は大黒様とも呼ばれます。

ヒルコ – Wikipedia :

流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している[2]。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。

平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とするのちの伝説や伝承に引き継がれた[2]。海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる[2]。また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする[2]

不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという[3]

エビスやヒルコや事代主については諸説ありすぎて解説できません。地域ごとに違うようです。

 

えびすを夷と書く場合もあり、夷は異民族の蔑称でもあります。海から流れ着いた異形のものを神としてあがめる風習は世界各地であります。

国譲り神話において釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、海の神、五穀豊穣商売繁盛の神、としても信仰されている。七福神の中のえびすが大鯛を小脇に抱え釣竿を持っているのは、国譲り神話におけるこのエピソードによるものであるとwikiにあります。

えびす – Wikipedia :

障害児を神としてあがめるのは、インドのヒンズー教に見られるガネーシャ信仰にあります。現在でも、障害児を異形の神としてあがめるインドの地域があります。

ガネーシャは顔は象で身体は人の異形の神で、障害者そのものでもあり、繁栄の神様です。福子思想の元かもしれません。

 

 

人々が供物を捧げる行列ができるというガネーシャに似た赤ちゃん。

まず環境問題を解決しなければいけないと思いますが、奇形児を神としてあがめることにホッとします。インドにはたくさんの奇形児が生まれているそうです。古代にも奇形児が生まれると神としてあがめ、伝説が生まれたのでしょうか?

障害児が生まれると家が栄えるという逆転の発想に驚きますが、

障害児を大切にするという考えは、普通に幸せの条件であると思っています。

成熟していない社会では、障害者を排除したり排他的で社会全体が幸せそうには見えませんが。

成熟している社会は、障害者も普通に受け入れる思想は、すべての人々に幸福をもたらすと思います。

未成熟の排他的社会とは、一定の基準に合致しないと排除される世界であり、それは不運に障害を負えば、転落し排除される不安の大きい社会です。

成熟した社会とは、障害を後天的に受けても、そもそも障害者も受け入れられる社会なので、不安もなく、障害が不幸ではない社会です。

誰もが安心できる社会とは? 一定の基準を設けて排除することのない社会だと思います。

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