ヴァヌアツの呪術の文化人類学的視点

呪術ヴァヌアツ, 呪術

ヴァヌアツに惹かれて、大阪大学中之島センターで「呪術とむきあう文化人類学の視点から」という大阪大学大学院人間科学研究科の白川千尋教授のお話を聞いてきました。呪術というとスピリチュアルな好奇心をくすぐられるのですが、文化人類学とは他者理解の学であり、フィールドワークの学問であると言うことは、新たな発見でありました。フィールドワークによる他者理解は福祉概念にも通じる試みだと思います。

2017年10月2日の「工夫info!」の記事を編集してここに移動しています。

 

 

 

文化人類学的視点の呪術とは

Parker_West / Pixabay

講義のレジメを要約します。

文化人類学は呪術をどのように理解しようとしてきたのか?いかにして学問の対象にしてきたのか?

 

【未開の証として呪術を捉える】

20世紀前半以前は、呪術は研究者による自分目線の理解で、自文化中心主義的理解であり、迷信や疑似科学的で、後進性や未開の証として捉えられていました。

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【偶然を必然化するための呪術】

20世紀半ばになると、偶然を必然化するものとして捉える見方が出てきます。

「ものごとの一般性として・普遍性を説明するものとしての科学」「ものごとの個別性・特殊性を説明するものとしての呪術」という捉え方です。

つまり、「どのようにして(how)の問いに答えるものとしての科学」「なぜ(why)の問いに答えるものとしての呪術」という個別の説明理論が出てきます。

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【説明理論としての呪術=陰謀論のような】

また、1990年代以降には、近代化やグローバル化の増大にともない、株価や為替の変動、国際機関の主導による構造調整政策や公務員り大量リストラといった出来事が頻発。そうした社会変化がなぜ生じるに至ったかを説明づけるものとして、説明理論として陰謀論的なものが出てきます。

 

【文化人類学としての呪術】

異文化・異世界理解の学=他者理解の学。

全体論的視点として、社会・文化を個別分野単位でなく、全体的・学際的に把握する。

自分にとって常識的であった価値観や考え方を別の角度から捉えなおす(相対化)

それは自文化・自社会理解の学、自己理解の学であるという講義内容でした。

 

ヴァヌアツの邪術

ヴァヌアツでは人口の9割がキリスト教徒ですが9割が邪術を信じています。

邪術とは習得可能な秘儀で、キリスト教伝来以前の19世紀後半では、呪術は伝統首長のみが保有していました。

村の規範を侵した者などを罰するための社会的制裁としての邪術がありました。それがキリスト教により禁止され消滅します。

その後、他島民の邪術の使い手から、習得した邪術師が現れ、恨みや怒り、妬みなどから邪術が行われるようになります。

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2014年のニュースで、バヌアツで邪術を使ったとみなされた男性二人が村民に殺される事件もありました

これはネットで調べたのですが、30人以上がその二人の呪術により殺されたと信じられていたようです。魔女狩りのようなことも最近まで?現在進行形?で行われているようです。

今も呪術が大半の人に信じられていて、黒魔術のような禍をもたらす邪術だけでなく、治療としての白魔術も信じられており、その施術者は300以上の薬草を使って治療もします。西洋医学で治らない病は邪術にかけられていると思われているようです。その薬草を近代科学で調べてみると、実際にその病に効く成分が含まれていたそうです。

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そこで思い出すのがOリングテストによる診察です。実際に医師がOリングテストにより、患者に投与する薬を決めているクリニックもあるようです。

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O-リングテスト – Wikipedia :

O-リングテスト(正式名称Bi-Digital O-Ring Test、略称BDORT)は、手の指の力による代替医療の診断法である。ニューヨーク在住の大村恵昭(1934 – )が発明し、1993年に米国特許5188107を取っている[1] 。

患者が手の指で輪(O-リング)を作り、診断者も指で輪を作って患者の指の輪を引っ張り、輪が離れるかどうかで診断する。この時、患者の体の異常がある部分を触ったり、患者の空いたほうの手で有害な薬や食物を持つと、患者の指の力が弱まりO-リングが開く、とされる。もともとこれはアプライドキネシオロジーの応用で、当初は腕の力の強弱による診断だった。のちにそれが指の力でも診断可能とされ、この診断方法が提唱された。 学術論文として検証可能な根拠が示されていないため、似非科学の範疇にあると考えてよい

wikiでは似非科学扱いされていますが、私は効く人には効くテストだと思っています。疑い深い人にはOリングテストだけでなく、西洋医学でさえ、上手く機能しないと思います。人の意識の効果にはまだまだ不思議な力があると思っています。西洋科学の臨床テストでもプラシーボ効果と言って、偽薬を効く薬と思って飲めばそれなりに効くことが証明されています。

300を超す薬草の効能を呪術者が探り当てたのも、潜在意識の不思議な力が察知しているのかもしれないと思っています。

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ヴァヌアツの邪術の具体例は?

講演のレジメによりますと、ヴァヌアツの邪術の具体例としてナカイマス、ブラック・マジック、ポゼンという種類があり、それは知識や技能を習得することで誰もが使用可能な邪術です。

具体的には、

  • 呪物(植物、骨、灰など)を秘かに相手の飲食物に混入する
  • 相手の飲食物の残り、毛髪などを木の洞などに埋める。
  • 呪物を相手の通る道に埋める、相手に直接吹きかける。
  • 相手を呪文で夢遊病者のようにして誘い出し、殺害後、腹部に植物などを詰めて蘇生させる。相手は何事もなかったかのように過ごした後、数日して死亡する。

この4番目の例の、腹部に植物が詰まっていた事例ですが、ひょっとしたらなんらかの発達障害があり、夢遊病のようにふらふら歩いていて、異食があり、飢餓から植物を食べてしまい、それらにあたって死亡してしまったのを検死して、呪術を発想したのではないかと想像しました。

つまりありえないような不思議な事が起こった時、それは呪術のせいだ。として、納得したのではないでしょうか?

 

社会統制装置としての呪術

レジメによると、社会統制装置として呪術では、呪術の使い手とみなされる者、邪術の標的にされてしまう者はどのような人物か?とあり。呪術の対象者は、強欲な者、不親切な者、利己的な者や。社会的に期待される義務を果たさない者、社会的規範・道徳の侵犯者があげられていました。

こうした人物とみなされないように振舞うことが重要とされてきたことで、社会がまとまり、安定性の維持や社会的混乱の防止になってきたようです。う~む、発達障害者は邪術の対象者となって淘汰されてしまうのか?ふと障害者問題と結びつけてしまいました。日本にも、障害があると間引きされたり、鬼子として忌み嫌われたりする価値観もありました。日本書紀でイザナギノミコト、イザナミノミコトの最初と次の子は 蛭子と泡の子として海に流されてしまいます。

その反対に障害児を大切にする思想も日本にはありました。のちに述べます。

神武天皇と八咫烏(ヤタガラス)

 

日本の呪術は?

 

呪術として思い浮かべるのは、日本では丑の刻参りですね。消し難い恨みの解消法として藁人形にクギを打ち呪います。

白装束を身にまとい、髪を振り乱し、顔に白粉を塗り、頭に五徳(鉄輪)をかぶってそこに三本のロウソクを立て、あるいは一本歯の下駄[1](あるいは高下駄[5][注 1])を履き、胸にはをつるし[1][2]神社御神木に憎い相手に見立てた藁人形[1][2]毎夜、五寸釘で打ち込むというものが用いられる[2]五徳は三脚になっているので、これを逆さにかぶり、三本のロウソクを立てるのである[6]

 

丑の刻参りによって、妖怪を呼び出す女:葛飾北斎

呪われた相手は、藁人形に釘を打ちつけた部分から発病する

丑の刻参り – Wikipedia 

他に陰陽師や節分の追儺に登場する方相師なども呪術師ですね。考えてみれば日本人は無宗教のようにも言われますが、お正月には神社に初詣して氏神様を迎え、お雑煮やお節という縁起の良いものを食べ、季節ごとに節目ごとにお祝いしますね。ひな祭りに端午の節句、七夕に重陽の節句、あまりにも呪文めいた習わしだらけです。ヴァヌアツにみられるような、恨みの解消のための呪いは、日本にもあります。

その民族の長が呪術を用いるとき、それは集団を統治するための、重要なカリスマ性として発揮されたことでしょう。卑弥呼も呪術を用いる巫女として民衆を統治しました。古代の土偶や埴輪にも呪術の痕跡があります。

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